2018年2月19日月曜日

「テト(ベトナム正月)」潜入記



「テト(ベトナム正月)」潜入記
 
 東アジアを考える会の企画にしばしばご参加くださる田中啓次郎さんにお声かけいただき、2月18日(日)にべトナミストクラブの事務所で開催された「テト」に参加。
 「べトナミストクラブ」は元大阪外大(阪大)教授でベトナム言語文化の研究を専門とされる冨田健次さんが代表理事を務める一般財団邦人で、「ベトナムを学び、ベトナムに学ぶ」を掲げ、語学教室を始め、音楽や料理のクラブ活動、文化講座の開催、翻訳サービスなどを行う。
 
 事前に田中さんから届いた「混雑の極み 日越入り乱れますが」との連絡にやや怖気づき、阿部さんにご同行を願った。12時半からの宴に5分ほど遅れて到着。古いビルの一室、そう広くない会場はすでに人であふれんばかり。本場ベトナム料理がテーブル2列の上にズラリ。…しあわせ♪ お正月に欠かせないご馳走「バイチュン」は、もち米に豚肉と緑豆の餡を混ぜ込みラドンという葉で包んで蒸したもので、ベトナム直送。豚軟骨の煮凝りのようなパテ、胡椒風味のハム、会員さんらが昨日から100本以上巻いたという具だくさんの揚げ春巻き、カレーにおでんも!…確かに日越入り乱れ。ボールやタッパになみなみと注がれテーブルの数か所に置かれていたのは、ベトナム伝統の調味料ニョクマム。日本企業で働く若い会社員や留学生らは、故郷の味と言葉にすっかり寛いた様子。1歳から80代までの日本人、ベトナム人、もしかすると他の国籍もあり?会場のあちこちで会話が弾んだ。

 淀川区にある日本の建設会社で図面を作っているというホーチミン市出身の若者3人と会話。日本へ来て1年から3年の日本語キャリアで「聴解は苦手です」と言うものの、皆さんなかなかの語学力。どうして日本に来たの?何の仕事?休日は何してるの?一人暮らし?この食べ物は何?何歳?と、次々に発する私の不躾な質問に、「えーっと」と言葉を探しながら、時に「もう一度言ってください」など丁寧に対応してくれる。ベトナムの都市部と田舎の経済格差といった少々込み入った話などもできて興味深い。こちらが姿勢を正されるような爽やかな若者たち。親の世代はベトナム戦争を経験しており、一人は「僕の父は米軍に入っていました」という。故郷での彼らの暮らし、日本での日常、夢、彼らの目に映る日本、さまざまな問題などなど、機会があればぜひ「東アジア部会」で聞いてみたい“ベトナムと日本の今”。

 宴の〆は日本語とベトナム語で歌う「今日の日はさようなら」。ベトナムの若者たちに囲まれたた冨田さんの「もう1度」の声に、何度も歌う。また会う日まで~♪

べトナミストクラブの活動はこちらから→https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1699822323604507&id=1648384308748309

■ご同行願った阿部さんの「テトでワシも考えた(椎名誠風に)」
 
 まず、狭いとことにびっしり、混雑ぶりにびっくり。半分はベトナム人。半分日本人。私は、日本人の多さに特に驚いた。ベトナム人の皆さんは、知り合いが多いよう。ベトナムコミュニティーがあるのだろうと想像できる。日本人は、その辺がわからん。ベトナムとどんな”縁”があって、ここへ?全部の人に聞く訳にもいかず、最後まで不明。とにかく、いろんな日本人がいるなーと、ヘンな感動を覚えた。
 みのお国際交流センターでも、日本人とイラン・トルコなどの雑踏を見たことがある。もっと、多種多様な雑踏が、大阪には作れるはずや。特に、このザワツキ、混みよう、これは、日本人とコリアンの交流の場にも実現せんと…あかんなあ…と。南北、差別。難しい壁多すぎるけど。民族の雑踏は、コジレル前に作らんと。ほっとくと、これからコジレル方向に行くかも。
東アジア、がんばらんと。

2018年2月2日金曜日

東アジアを考える講座。2月26日「米軍属とアジア人女性との間に生まれた「アメラジアン」」について


米軍属とアジア人女性との間に生まれた「アメラジアン」
─映画「ぼくと沖縄とみんな」の作者とともに─

日時:2月26日 19時~21時
場所:バラエティサークル(阪急十三駅東口から徒歩3分)
大阪市淀川区十三東4-10-3
参加費 1000円

内容:駐留米兵の祖父、日本人の祖母をもつアメラジアン・黒島トーマス友基さんの作品上映とお話し。
「大阪では普段あまり意識されない問題ですし想像がつきにくい話ではあると思いますが、 少人数でゆっくりじっくり話せたらいいなと思って  おります」(黒島さん)。

(黒島トーマス友基さんプロフィール)
1986年大阪市住吉区生まれ戦後住吉区に駐留していた米兵の祖父と、 米兵相手にセックスワークをしていた祖母を持つ。中学生の頃から自の“血”に悩み始めるが、 高校で先生や友人など多くの出会いを経て自分と向き合い始める。その後仲間を求めて沖縄の大学に進学するも挫折。大阪に戻り社会人として働く傍ら、2011年ごろからとよなか国際交流センターで活動をはじめ、映像作品を作り始め、2016年には沖縄での思い出を仲間と共に振り返った作品「ぼくと沖縄とみんな」を発表。現在は(公財)とよなか国際交流協会の職員として若者に関わる事業などを担当している。

問い合わせは大阪自由大学、アベ(080-1417-4186)



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